昭和45年09月23日 秋季霊祭
神徳は、信心をすれば誰でも受けることが出来ると。今朝のご理解でもございました。先の世までも持って行かれる、その先の世までも持って行かれるものは神徳じゃ。先の世までも持って行かれない以外のものは、持っては行けない、どんなに金をたくさん持っておっても、どんなに力を持っておっても、その力を持って行くことはできない。持っていけるのは神徳だけ。
しかもそれが子孫まにも残る。しかも、信心をすればね、誰でも受けることができる。その、誰でも受ける事ができる、みてるということがない、限りがない、無尽蔵、だから、神徳を受けていくという事は、もう限りがない事になります。また、おかげも、だから、限りなく頂けることになります。ところがです、果たして、信心をしておる者が、誰でも受けられると仰るのに、神徳が受けられておる、あちらは神徳を受けておられるなという人が、どれほどあるだろうか。
そすと教祖様は嘘を仰っておられる事になる。教祖様が私は嘘を仰っておるとは思われない。だから信心をすれば誰でも受けられる、御神徳が受けられる信心とはどういう信心かという事になる。そういう事になるですね。成程私共の教祖の神様を初めとしてです、二代金光様三代金光様と、又は私共の先輩、先覚であるところのお徳を受けられた先生方が、いくらも私共がつい最近まで御生存になっておったお方達の御神徳というものはあれだろう、ああいうものだろうと思わせて頂けれる。
なるほど、あれがあの世にも、持って行かれるんだな、この世にも、残しておけれるんだなと思うようなものを、見てきたけれど、また聞いてもきたけれどです。信心をしておるから、みんなが頂けておるということじゃない、そこで、ほんなら、神徳が受けられる信心とは、どういう信心かという事なのです。私は、本当に信心を、段々頂いていけば頂いていくほど、不思議で不思議でたまらん世界のあることに驚きます。もう本当に不思議なことです。
これは人間の知恵やら力では、まだまだ、いわば自然を挑むとか、自然を克服するとかという事を申しますけれどもね、とてもとても人間の知恵や力で、自然の働きといった様なものを解明することができない程しに不思議なことの多いのに驚くくらい。この大宇宙の中にね、それがありますように、私共の小天地といわれる、私共、人間氏子、私共の上にもね、もう不思議で不思議でたまらん事ばっかりなのです。私がそれを、最近もう切実に感じさせて頂いております。
ご承知のように、私が糖尿病でございます。医学の上から言うと糖尿病、とこう言う。しかも、非常に悪い。尿なんかは一番ひどいのが出ておると言った様な状態。ですからね、私共が、信心が少し抜けますとね、もうその抜けたところから、いわゆる、魔風が入るとでも申しましょうかね。もう本当に糖尿病になってしまう。最近なんかは、とにかく、身体がきつい。
もう私、夕べ、皆さんに合われるのに、私は今、こんなに痩せてるよち言うてから、こげんしたっちゃ、ここが、まん丸しとる、丁度八十五キロ、一時はありましたからね、今、六十五キロしかない。それでもやっぱ、百斤から上も、ちょっとありますもん、けれども、やっぱ二十キロ痩せました。これでもう体がきつくなるですね。もうそのきつさというのは、もう本当に、ここに上げた手をこちらへ降ろそうごとなかごときつい。今日も朝からきつかった。
ところがですね、成る程、そういうきつい時には、確かに、もう糖尿病だと私は思うです。ところがね、いわゆる、小天地の私の上にも、こういう不可思議な働きというか、事があるということがです、私が、そんなら、真に有り難いと思う心、と、私が有り難い心を頂かせて頂くとですね、もう糖尿病がどこに行ったかと分からないくらいに体は健康になるのです。それはあっという間です。いわゆる、そこになります時にはです、もう糖尿病ではなくて、糖尿病という名の神様の御都合だという事になるのです。
私はここのところをね、開拓していくということが、これは、私の信心だと自分でも思うております。今までは、こりゃもう、本当に有り難い有り難いで、このままいけば金光様になれるんじゃないだろうかと思うごと有り難かった。ところがその、有り難いと思うておった有り難いというものを、よくよく検討してみたところが、有り難いものだけではなかった証拠に、ちょうど隙間に糖尿病という、いわば、隙間風が入った。
そこで神様は私を本当に有り難い権化の様に、有り難い固まりの様にして下さる事の為に、今度の糖尿病が私に与えられた。そして糖尿病に苦しんでおる時と、糖尿病という名の神様の御都合であるという時とその二つに、今そういう岐路に私は立っておる様な感じがする。だからある意味では大変な危険な事だと。間違えは糖尿病でばたばたと他の病気を併発して死ななきゃならないと言う様な事になるかもしれない。
私が所謂有り難いものを、より有難いものを頂かせて頂いて、糖尿病という名の神様の、こういう御都合であったいう事を分からせて貰うて、私は有り難くなっていきゃ糖尿病は、いわば恐れるに足らない事であり、神様の御都合だと言う事になる。今日も午前中休ませて頂いて起きたけれどもきつい。どうもきついもう風呂入ったっちゃ入っただけで、もう洗おうごつないごときつい。
それでもう早めに装束着けさせて頂いて、普通でいうなら墓前祭でしょうけれども、ここは奥城が御座いませんから、御遺骨を沢山お預かりしておりますから、御遺骨の部屋を開けましてね、そして私と上野先生二人で所謂墓前祭、御遺骨の前での簡単なお祭りを仕えさせて頂いた。あそこをね取り払わせて頂いて、幕を取らせて頂いて中に御明かりをともさせて頂いて、さあ今からお祭りを使えようと思うて。
あちらの椅子に掛けさせて頂いた途端にです、なんか知らんけれども、御霊様方が喜ばれる、いうなら声を聞く様な思いがしましてね、心が少ししゃんとしてきた。少し元気が出て来た。終わらせて頂いてから、私又時間を待たせて頂いておりましたら、障子の向こうの方で北恵美子さんの声がします。何か甲高い何か笑い声で話をしておられるのを聞いたらね、なんか知らんけれども感動した。
人間なねその感動をすると言う事。所謂真に有り難いと思う心、そこに何が恵美子さんの声を聞いて感動するのだろうかと思うたら成る程と思うた。それはこの頃矢張り子供です、糖尿病で長い間病院に入院しております、安代さんというのが今日はね、お爺ちゃまと会える日だから、今日は病院の先生に御願いをして、今日は玉串を上げさせて頂く為にお参りをしようち云うてから今日はつれて参りました。とこう言う。
ははぁ成る程、お爺ちゃまに、今日は会える日だとそういう、親の子供に対する小さい心遣いというものがです、私がまだ見ぬ安代さんを見ぬ前にです、感動が伝わって来たんだなぁと思うて、又会わせて頂いてなおさら感動させて頂いたら、又元気が少し出て来た。もう愈々時間が切迫いたして参りました。私はどうも冠をかぶっておくのがきついぐらいだから、冠を取っとった。
冠を私がこうしましたけれども、中々都合よう行かん、鏡の前でこうしよりましたら、若先生が参りましてから黙って、私の是をほどいてからし直し、私は眼をつぶって冠をかぶせさせて頂いておりましたらね、それこそどこから湧いてくるか分からん感動に、もう震える様な感動でした。もう本当にあっという間でした。私が鏡の前から私のここへ出る前の座に着かせて頂いた時には、ひとっつも所謂元気一杯でした。
いうならばもう腐った様な血がね、新しい血に変えられたのではなかろうかと思う位に、元気が出て来たんです。私はもう本当に不思議で不思議で堪らんと思いますね、人間のそういう身体の微妙さ不思議さ、注射をしたから元気が出た、薬を飲んだらこうだったという事もありましょう。けれども自分の心ひとつでですね、現在の私には糖尿病もないと言う事なんです。糖尿病がないのですから、私は甘いもの頂いたっちゃ、辛いもの頂いたっちゃ良いというのが私の日常生活何です。
だからつい一時間、二時間前までは、私は糖尿病の為に苦しんでおったという事になる。そういう不思議な働きがです、その関わり合いというか、兼ね合いというものを、今日私はね今日の御霊様の事に関して感じさせて頂くので御座います。今朝の朝の御祈念の後に、ある方がお参りさせて頂いて、今日は息子が勤めに行っとりますのが、丁度お休みだから、一緒に霊祭におかげ頂くことが出来る。楽しんで、今日あんたもお参りするじゃろち申しましたところが、僕は、今日は、他所に用事のある。
そんなことでもう本当に、半年に一遍の御霊様のお祭りに、お爺ちゃんやら、お婆ちゃんが待ってござるよち。そげな事は止めちから、またでん行かるるけんで、どうでんお参りしなさいと。もうお母さんちゃ何ちゃそげな風に云うちから、人ばおどすごたることばっかり言うちから、参らにゃ罰かぶるち、あんたが言おうち思いよろがち言うちから、息子が反発してる訳。
大体御霊様てんなんてん、ござるやらござらんやら分からんじゃんの。そげなんばちからもうえらい反発してくる。それでお母さんがね、息子の名前を云うてからとにかくね、お父さんとお母さんが喜ぶごつ、お父さんとお母さんが喜ばれる、と思うて参りなさいと云うたらもう先生、それには一言もなかったと云うております。お父さん、お母さんはもういうならば、ご先祖の一番前列におられる方なんです、いうならば。
それにまだ形がある御霊様達はそれにつながってござる、先祖はそれに両親に繋がっておる、それがご先祖なのだ、今朝から朝の御祈念の後にご祈念が済んだ直ぐ後に、福岡の高橋さんがお参りしてみえとります。それでここでお届けされますのに、ここまで参りましたら事務所で電話がじゃんじゃん鳴りよる。誰もおられんから私が掛らせて頂きましたら、本部の方の学院から愛子が電話を掛けておった。その愛子が明日は合楽の御霊様のお祭りだからと思うて、その積りで御祈念をさせて頂いて休ませて頂いた。
そしたらね御夢の中に、田代佐枝子さん大変仲が良かった。佐枝子さんが一緒に矢張り女子青年の方達と一緒に、色んな御用をしておるけれども、佐枝子さんだけが隅の方でですね、なんかつくねんとし、淋しゅうして、淋しゅうして応えんと言う様な顔で、向こうに立っておるから、佐枝子さんどうしたつねというけれども、所謂浮かん顔しておる。そしてこちらへ来たら、沢山善哉が出来ておったからね。
ほら佐枝子ちゃん善哉が出来とる、早よこんのと言うたらもうそれこそ、にこにことして善哉を頂いて、一緒に御用させて頂いたというおしらせを頂いたから、どうぞお母さんに直ぐお善哉を作って貰って下さい。そして今日の御霊様のお祭りにお供えして下さい。あそこへ、最後に抹茶茶碗にお供えしたのはその善哉で御座います。私はねそういう例えば、本当に不思議な事があると云う事、そういう例はいつの場合も、幾らもありますよね皆さん。そこでです私共がね、御霊様に元気を付けさせて頂くと云う事。
もうそれこそ御霊様の世界で、私の糖尿病じゃないけども、手も足も上げきらんごたる大変な御霊が沢山ある事です。子供のことを思う孫の事を思いよっても、動こうと思うても、手も上げようごとなかごときつい御霊が沢山あることです。所謂信心させて頂いて、あの世にも持って行けれ、此の世にも残しておけると言う様な徳を受けていなかったからなんです。ですからそういう例えば御霊様にです、私共の真心がね。
例えば接した時に触れた時に丁度私の心の中に何かが触れた時に、この例えばきつうしてきつうして堪らんという血が生き生きとした、生きた血に変えられるのじゃなかろうかと思う位にです、是は私は日のうちに何回か、それを体験するのです。ですから御霊様との出会いというのは、皆さんの思いや真心が、孫が子がいうのがです、さぁ今日は御霊のお祭りだからと思いを込めて。
まあ甘な辛なの一つもお供えでもさせて頂いて、今日は玉串を、ひとつの取り結ぶひとつの手段ですよねあれは、として玉串を取り交わせて頂く楽しみというか、それに御霊様が、生き生きとしてみえるおかげが受けられるのです。若先生が、私の冠をこうやって、無言の中にこうさせて頂いておったら、何が私をその様に感動させたか。何が私の心の中が、いわば汚い血から綺麗な血に、きつくて堪らんのから。
所謂平静と変わらん様な元気なものが蘇って来たか。私は親に奉仕をすると云う事からだと私は思いましたね親に奉仕をするという事は、この様に有り難いものだと言う事です。それは何もいわん。けれども黙って親に奉仕をすると云う事が、親にその様な働きかけをするという不思議な働きをね、私は感じました。子供が親に奉仕をする。残された者が先祖に奉仕をする。その様な霊妙不可思議な働きがあるものなんです。
お爺ちゃん、今日は会える日だから、病院の先生にお願いをして、今日はお祭りにお参りさせて頂こうと云うその心がです、御霊様に交わん筈はないけれども、私にまで取り次ぎさせて貰う、私にまでその思いが交うてきたことを感じます。無言の中に。信心ちゃそういうね、霊妙不可思議な不可思議な世界を、段々段々不可思議ではないものにしていくことなんです。祈りて御影のあることを不思議と言うまじきものぞ、祈りて御影のない時は、これが不思議なることぞ。祈れ祈れ。実意を持って願え。
五穀成就立身出世、牛馬のことに至るまで、氏子なんなりとも身の上の事を願えと仰っておられます。けれどもそれは、どこまでも実意を持って願えと仰せられる。その実意とは、どういうことか。私は最近、その実意と云うことを、勿論実意丁寧の実意でもありますけれども、「実意」とは心ですから、実際の心だ。自分が本当に思うておる心だと思うです。云うなら赤裸々の心だと思うんです。
不健康な者が健康になりたい、これなんです、お金のないものがお金が欲しいと、これが私は、実意だと思う。それをです、しかも牛馬のことに至るまで願えと仰せられる。その願うと云うことがです、最近合楽で云われております。7月には祈念力、修行月、祈念力を作れと云う、7月の、それこそ炎天もものともせず、皆さんが一月間、ここへ通うてみえられました。それこそ御広前が割れるような、ご祈念会が一月間続けられました。いわゆる祈念力を作った。
しかもそれを修行、一番暑い真盛りの一時からの御祈念に、皆さんが参加した。私は思うて見ると、そのころから、神様のお働きが段々変わってきておったなと思うんです。8月には願いに徹せよと頂いた。勿論、喜びを持って根とすると云う、いわゆる和賀心、喜びの心を持って願うんだと云うことなんです。しかもそれに徹せよと。どうでもこうでもと徹していくと云うことなんです。
今月にならせて頂いたら、全てのことを有り難うございますと受けれていけれる信心を頂こうと言うのである。全ての事が、有難うございますと受けていけれる信心。そこんところを願うていこう。そこでほんなら願いとは、まぁ大変難しくなりますよね。言葉が願いの原理。最近誰でしたか、願いと云うことが非常に難しいという。もう毎日毎日、先生のご理解を頂かせて貰っているけれどもです、ほんとに今年の元旦に頂いております、世のお役に立たせて頂くなんてんち、生やさしいもんじゃないですね。
この場合は世のお役に立たせて下さいと云う願いなのです。世のお役に立たせて下さいと云う祈りなんだ。あれは祈りの言葉なのです。世のお役に立とう、世のお役に立ちましょうやと言った様なものじゃない。人間に呼びかけるのじゃない。神様に絶叫しておるんだ。世のお役に立ちたい。そこに私の、これからの生き甲斐を感じさせてもらうほどしの信心に今年こそはと云うのであったです。世のお役に立ちたいの一心。
世のお役に立ちたいの一心がです、願いになってくる。お金が、例えば、合楽の方達の場合は、いわばほんとにその日暮らし的な、もう神ながらなおかげ頂いて参りましたですね。二十年この方。ほんとに和賀心になる事に、なれはせんでも、なることに努めておれば、このような不思議なおかげが受けられると体験してきた。ところがそれは、どこまでもその日暮らし的なものである。神様の間違いなさに恐れ入る。
もう今日の時間切っての手形の事なんかでもね、もう時間ぎりぎり滑り込みのごとしてお繰り合わせ頂く。不思議で不思議でたまらん。只、そういうおかげだけ。手形といや、いつでもはっと払えれる。お役に立ちたいという祈りがです、例えば、ここに一千万なら一千万のお金があれば、こういう世のお役に立つことが出来るというなら、いつでも、はいと、熨斗を付けてお供えの出来る様な。
私は実力を頂かせて頂かなければ、やはり本当の世のお役には立てないのだ。世のお役に立ちたいならば、どうぞ私を億万長者にして下さいと云う願いも又、いいという事になるのです。ですから、億万長者にならせて下さいというのも、どこまでも願いに徹したものでなかなければならない。勿論、私共の心の中から生まれてくる、和らぎ賀こぶ心をもって願うと云うことと同時にね。
神様の願い、神様の喜び、神様の喜びを喜びとしての願い。そこにね、願いという信心が大して難しくないということが分かってきたんです、最近ね。そうでしょう。神様が世のお役に立ちたいという願いを喜んで下さらんはずがないでしょう。そのね、お金を儲けさせて下さい、家を建てたいですから。お金儲けをさせて下さい、良い着物を着たいですから。と云う様なものとはだためが違うです。
世のお役に立たせて頂く事のために健康を下さい。今朝から佐田さんが朝のご祈念に参ってみえてから、そのお届けされました。もう七十幾つでありなさる。先生、私はまだ今から、お役に立ちたいと思いますち。だから、どうぞ健康を人一倍頂かせて欲しいと思いますから、どうぞ健康の事をお願いして下さい、絶対これなら神様は聞いて下さる。まだお役に立ちたいというのである。
温泉にまだ行きとうございますから、お芝居を見げまだ行こうごとございますから、手足が自由にならんごたるならこっじゃ困りますけん健康にして下さいというのじゃない。お役に立ちたいから健康にして下さいと云うて願っておられます。経済なら経済のことだってそうなのだ。現在の状態ではお役に立てないのだ。立とうと思うても。だから云うなら、神様がお喜び下さるようなところ、神様の心をキャッチして、それを祈りの先端にもっていくのだ。それを祈りの内容にしていくのだ。
そこにねいわゆる願いの本質とか、願いの原理とかという様な事を、私はこの頃申しております。金光教で云う願いと言うのは、そういうものなんです。只よろしく御願いします御願いします。御願いしますと云うものではない。ところが例えば、二十年間稽古させて頂いてから、なかなか和賀心もこの程度、と云うことなんです。私共もほんとに金光様になるんじゃなかろうかと言うて、有り難かと思いよったけれども。
さぁ糖尿病になってみて、糖尿病になったり神様の御都合であったり、死んだり生きたりいうなら、しておる様な状態のなかにですね、私は所謂私のこれからの信心を、云うならば、命がけでここのところに取り組んでいかなければならないなと思うのです。私は口では云うておる。病気と云うことはない。みんな神様の御都合だ。だからほんとに御都合と思えれるところまで、信心を進めなければいけないのだ。
昨夜例によって、夜を徹して御霊様へのご挨拶をさせて頂きました。私は大変感動したことはね。御霊様の前に座ったらね、まぁいうなら信者の総代さんと言うとこでしょうね、御霊様方の総代さん、いうなら方達がね、ずらっと私の前に並ばれておる。そしてから大変な喜びの御礼をなさいました。私がまだ柏手を打つ前に。私は何が御霊様方に御礼を云うてもらえる、何が私にあるのだろうかと思わせて頂いたら。
御神眼にねラムネ飲料水、今はもう若い人達はあんまり知りません。ラムネというのがある。ラムネというのが。そのラムネをね、上にレッテルが張ってありますたい、上にこうこう言う風に、口にこうしちゃる。その上からポスンと玉を落とすと、いわば中から、いわゆる飲んだらベスッと云うような飲み物が入っておるのです。ラムネ。今まではですね、今までは願いたいと思うても、願いたいと思うても願うことは何か慎まなければならないような雰囲気であった、合楽の場合。
和賀心和賀心和賀心になることだと、どういう難儀な問題でも、その問題を通して信心を分かり、神様の御都合を分かり、成り行きを大事にしていけ、限りなく美しゅうなれ、豊かになれと云うようにですと云うことだけで、こちらが信心が出来さえすれば、こちらが和賀心が頂きさえすれば、願わんでも頼まんでもおかげが受けられると仰るから、もうどうも願うと云うことは、そのいけないような雰囲気であった。
それは丁度ここに、胸につかえておる事がベスッと下がるようなおかげを頂きたいのだけれども、それはいかにも神を破るような気がする。信心を破るような気がする。それで願いたいことでも願えなかったと云ったような、私はこりゃ、皆さんの場合でもそうだ。本当の事を言うたら、おかげは和賀心にありと云うても、その和賀心には、何時の事になれるやら分からんような自分を見極める時です。
それでも受けなければならない、頂きたいものは沢山あるのだ。だから赤裸々に、先程も申しましたように実意をもって願うのだ。それを牛馬のことに至るまで。いわゆる五穀豊穣の事から、立身出世の事から、全ての事を何なりとも赤裸々に願えという事。そこでです赤裸々に願えと云う事がです、もう純粋無垢な云うならば信心の初心の時は、だからおかげを受けるとは純粋だからです。何も知らん。
先月の十三日会の時に、久留米の野口つぁんが発表されておられる事の中から、願いという事の中には、そう云う事もあるなと云うて、私は改めて分からせて頂いたのですけれどもね。あちらのお孫さんが、今が小学一年生でしょうか、二番目の娘が幼稚園に行きよります。ところが二番目の娘さんが聖子さんと言うですが、お姉ちゃん、昨日は、私はとても怖い夢を見たちいう、と言うてその怖い夢の話をしよる。
それを俊子さんがね、休みがけ、布団の上に座ってから共励の話なんです。それをお婆ちゃんがこちらで聞きよった。あんたが寝る時に、ちゃんとお神様にね、えすか夢怖い夢を見らんよう御願いします、そして楽しい夢を見せて下さいというて御願いをして寝らんけんたいて。お姉ちゃんな、いつもそげん御願いして寝るけんで、とても楽しいお夢ばっかり見せて貰うち言うた。
いわゆる妹の聖子さんに幼稚園に行きよるとに、そげん言うて教えよった。それを横でお婆ちゃんが聞いておって、あぁ素晴らしい事だなぁと思うたという発表をされました。もう純粋無垢なんです。もうどうぞここが痒うございます掻いて下さい。ここが痛とうございます、どうぞ直して下さいと。お金がこれこれ足りませんどうぞ御願い致しますと、切実に願うと云うことはねそのように神様には響いていくものです。
だから、願いの中には、そういう純粋度の高い願いであれば良いと云うこと。ところが、日々お参りをさせて頂いて御理解を頂かせて貰うて、こうする事が本当だけれどもと、分かっておりながら、そうせんからおかげにならん。そうでしょうが。分かっておってから、様々なじゅんすいな願いじゃ駄目なんだ。じゅんすいにならないのだ。出来んならば、その出来ないことをお詫びをして、その為の修行でもさせていただいて、願わなければならんと云うことになる。
そして、いよいよ、和賀心を頂かせた頂くための信心に精進させていただかなければなん。二十年間、私共は、そういう信心を続けてきた。それは御霊様達もご一緒に、そういう願うことに対しては、気兼ねしながらおられたのが、今、合楽で云われておる願いの信心が出来るようになったと云うことは、私共もこれから助かられると云うね、私は御礼であったと思うのです。
今も申しますように、御霊様が本当に、それこそ栄養失調のように、もう足も腰も立たんような御霊様が沢山ある事なんだ。そこで私共が真心を込め、こういう思いを込めさせて頂いて、御霊様へ真心の、云うならば接点とでも申しましょうかね、御霊様と接し合う機会というものを作らせて貰うて。朝に夕に又はこうした特別なお祭りの時には、それこそ冷たいお水一杯でも良い。
これは美味しいなと思うたら、その美味しいものでの良いそれを御霊様へ、例えば、お供えをするような状態と云うように、る時に、御霊様がね、丁度私が日々そういう何かに触れる時に元気づいて、もう糖尿病でない私になっておるようなおかげが、御霊様とても頂かれる事を思うたらね、御霊様を大事になさらにゃいけませんよ、せにゃおられない。私が御霊様とお話し合いが出来るようになったのは、もう二十何年前、家内の母、家内の父が亡くなる時に、ビワがね。
とにかくおいしいおいしいと云うて、それが末期の水代わりじゃった。おいしいおいしいと言いながら亡くなった。だから父の日が参りますと、私は必ずどんなに高かっても、まだ出始めの時分ですけれども、それを買ってお供えをする。丁度福岡での修行中のそれこそ、何にも無い時代です。それでも今日は父の御霊のお祭りだから、どうかしてと思うてね、果物屋の店頭に参りましたら、一皿いくらちぎれたごたつの、ちっと腐ったごたっとやらば一皿いくらで一皿五円くらいじゃなかったでしょうか。
十円じゃった。十円じゃったばってん私は五円しか無かったから、この皿ばすんませんばってんから、半分分けて貰えんでしょうかと言うちから、ほんなら快く分けて下さって、ほとんど一皿分くらい下さった。それをきれいに洗うてから、夜のご祈念の時にお供えをした。その時御霊様に交うたんでしょうね、初めて御霊の声を聞いた。ですから美味しいなと、本当に思うならねその場でいいからね。
やはり私はお供えをするような事それがね、所謂私が日々皆んなの真心とか、熱意の中にちょっと触れる途端に私の全身がね、それこそ不思議で不思議でたまらん位な、ほんなこて先生は糖尿病でありなさるとじゃろうかというくらい元気になられる。御霊様にもそう云うことの出来れる働きをね、思えば思うほど説明しても疑えば仕方がないけれども、ほんに不思議なことだと思うて皆さんがそれを行じられるならね。
皆さんの上にもやはり、こちらもおかげ頂くなら、御霊様も生き生きとしてこられるおかげが受けられると。あの世までも持って行けるのは神徳じゃ。子孫にも残るのも神徳じゃ。もうそれこそ、今日の○○さんのお届けじゃないけれども、御霊さんてんなんてんござるじゃござらんじゃ分かりもせんとに、私は今日、どこに行こうと思いよるところにということになってくる。
けれどもね、けれどもこちらが思いを込めて、御霊様のお喜び頂けるような思いを込めておかげを頂く時にです、御霊様に通うたと思われるほどしのおかげが受けられる、まぁそれを今日は、愛子の例を取ってお話ししましたですね。特別仲の良かった仲でありますから、お母さん、直ぐぜんざいを作って、今日の御霊様のお祭りにお供えして下さい。これはぜんざいという意味ではありますまい。
時に甘いぜんざいはね、やはり甘い言葉のひとつも欲しいと言うのだと私は思うです。ほんとう、さえこさんあんたが亡くなったけれどね、後はこんなにしておかげ頂きよるよと、さえこさんあんたが亡くなったけどね。あれを境にこげな私段信心させて頂くようになったよと。例えば云うなら甘い言葉それを信心では甘露というのです。御道の信心では、それを和賀心と云うのです。甘い言葉が、甘い祈りが欲しいのだ。
御霊様は。勿論、それが神様が求めてやまれないことでは、勿論あります。最近私共がね、願いと云うことを、云うなら微に入り細に渡って、最近の御理解は頂いておりますけれど、皆さん、本当に取り組んでみませんとね、これは又ちょっと難しかということすらが分からんです。先程秋永先生がお話ししておられます。大体願うだけなら見やすい、けども、実際本気になってですね、今日は北野の秋山さんがお届けをしておられました。先生、世のお役に立たせて下さいという祈りの難しいことか。
とてもとても、私共くらいの信心では、まだ祈れませんと言うておりますよ。いかに自分の心の中に、切実な神心を頂かなければ、世のお役に立ちたいという一念は出てこないかということが分かりますね。これは秋山さんが、本気で取り組んでみたら、そう云ってるのです。世のお役に立たせて下さいという一心の祈りと、簡単に、親先生はおっしゃるけれども、ほんとに世のお役に立ちたいという一念とか一心。
さぁ自分の子供のことやら、自分の事ならば一心が立つけれど、世のお役に立つこと為の一心がなかなか出らんと云う。秋山さんあんたよかとこが分かったねと、今朝から申しました。大体云うたらねそうなんです。私共がどうぞ世のお役に立たせて下さい、世のお役に立たせて下さいという一心の祈りがね、切実になって参ります時。そこから自ずと、願いというものは沢山出てくるでしょう。
世のお役に立ちとうございます。お金でも立ちたい、健康でも立ちたい。本気で世のお役に立ちたいという願いをね、持たなければ願いが願いにならないです。願いのいわゆる根本、御道で云う信心の願いの根本原理はそれなんです。神様が喜んで下さる程しの願い。云うならば、神様の願いと私共の願いとが一致するような願いと言う事なんです、願いとは。この頃皆さん例を申しましたけれど、この御造営が始まる前に、総代の高芝さんが、あれは切実だったんです、そん時の話は嘘じゃなかった。
親先生どうでも一つ御造営を初めてください、決心して下さいち。私を始め高芝一家の者が、一生かかってからでも借金払い致しますから、どうぞ初めて下さい。もうそれこそ言うならけなげな出来はせん、出来はせんけれども、けなげなことだと、神様が眼を細めて喜びなさった事だと思います。そういう願いなんですよ。神様の喜んで下さる願いと言うのは。だからそれが切実であった。だから私共の願いには切実なものを、その内容としなければならないと同時にです。
いわゆる、願い和賀心というもの、同時に神様の喜び、神の願いが地上になると云うことかね、神様の願いが地上に、神様の願いが、人間氏子が本当に幸せになっていくという事。それが神様の願いであり、それが地上になっていくことなんだ。私共がね、云うならば、それこそ何時でしたかね、富永さんの頂かれた御教えの中に、楽はすると思うな、させて頂けとおっしゃる。もう楽をしようなどとは思いませんというのである。自分から求めて、こういう気にはなりません。
今日は佐田さんが、そのお届けをなさっておられます。そういう気持ちでしたけれども、先生、今年になって、まず金のネックレスを頂きましたがと思うたら、次には真珠のネックレスを頂きました。先月からこういう反物を頂きました。昨日はまた、こういう反物を、あなたに貰うて貰いたいという人がでて参りましたとこう言われる。それで主人か、お前ばっかり、この頃、おかげ頂いてと云われるくらいにおかげ頂いておる。もう自分で作ろう、買うとは思うていないもん。
ほんなら私でもそうでしょうが、それこそ何十万の着物でも云うならばそれこそ糖尿病だって食べ物に怖がらない、甘な辛なもうそれこそなんでも頂かせて頂けれるという、百味の御食の様なおかげを受けておる、食べようと思わんでも眼の前に運んでくれるのだ。そういう決心の元にね、お互いが願いを立てなければならない。どうでもいっっちょ今度儲け出たならば家ばいっちょ建ちゅ、今度儲け出したら庭ばむごしゅう、そう云う事で願って頂いたおかげなんかと言うものは、それこそその人一代です。
先日からね、ある方がお知らせを頂いた。合楽のね、合楽の白波五人男ち頂いた。お芝居でやりましょう、日本駄右衛門とか、弁天小僧が出てくるですね、花道に並んで傘をもって、いかにも安心の傘のごたるけれども、それには白波五人男ち書いてある。白波と云うことは泥棒と云うことなんですよ。いわゆる、おかげ泥棒だと云うことなんです。日本駄右衛門が誰で、弁天小僧が誰々、はぁほんとに頂いてみれば頂いてみるほど、この人達はおかげ泥棒じゃなぁ、その証拠に、おかげは頂いておるけれども。
そこに途端の苦しみに苦しみ抜いておるということなんだ。捕らわれの苦しみなんです。追われておる苦しみなんです。 だからお互いがね、そういうおかげ泥棒になっちゃならない。そこには一つの根拠がある、お役に立ちたい一念がおかげになって来るというおかげ。二十年間、私共は、そこんとこを、稽古させて頂いてまいりましてです、おかげを頂かせていただいた。
そういう信心は、今まではもう二十年間は無駄だったなんてん、信心の基本というのは二十年間頂いて来た、あの信心なのです。これからでもやはり信心は本心の玉を研くことに間違いはないその日その日の改まりが、大事である事にも間違いがない、成り行きを大切にしていくという事も間違いは無い。そういう信心をひとつの基点として、所謂そこを基調としてそこから調べていく、そこから願いの内容を調べていく。
神様が願いなさるような願いを、私共の願いとさせて貰うと云うこと。和らぎ賀こぶ心をもって願うと云うこと。たまには純粋な痛とうございます、痒うございますと云う願いも又、願いの中にあることだけれども、今後の合楽には、そういう信心、そういうおかげを受けてくれよという願いがある。今までのままではおかげにならん、お役に立てないのだ。お役に立たせて下さい、と願っても。
二三日前の朝の御理解でした。御祈念中に頂きます事が、加東大介と頂きました。しかも加東大介が何とか晩という映画が、大判に出演した時の姿を頂くんです。そして加東大介だなと思うておったら横にね加藤大介と書いてある。その加東大介がね普通はね、加える東と書いてある加東がね。所が加える藤と書いてある。大は勿論同じ大きい助というのは、私が頂いたのは助けるという字が書いてある。ほんとに今ね合楽で私共が対象としておる神様はね、そう云う事を思うておられ願っておられるのである。
今までの信心がとにかく和賀心、和賀心自分というものを見極めて自分というものの汚さを分からせて貰うて、自分を掘り下げ掘り下げしていく云うなら下に下に下がって行く様な藤の花の様なものであった。だから矢張りそれでも見上げる様に綺麗だと皆が云うてきた。けれども是からはねこの富士なんです。富士山の富士なんです。お互いが日本一を色んな意味で目指させて頂く、そういう願いを持てと言う事なんです。
富士からねだから今までの藤の信心から、願っていく富士山の富士に加えられる、今までの信心に加えられる訳ですよ。二十年間してきたその信心に、それに立脚してからの願いなんです。そういう願いに切実なそういう願いが出来る事になったら、神様は大きく助けようという、いわば願いでおられると云うことなんです。先程秋永先生が云っておられましたように、私共はどうぞどうぞ神様と言うて、神様にいくらウィンクしても、神様は見向こうともされなかった。
そこでこれは願うことはしばらく置いて、和賀心に成る事を限りなく美しゅうなる事をと言うて一生懸命もう神様にウィンクしない、神様の前に只々自分というものが有り難うなって行く事の稽古をさせて頂いたら今度はねそういう姿に、今度は神様が少し周波を送って下さることになった。神様はいわば流し目を送って下さる様になった。そこで私共がね、いままで私共が、どうぞこちらを向いて下さいと云うても、向いて下さらなかったのが、神様が、こっちを向けと云うなら。
いつでも向こうぞと云う様な姿勢をとっておって下さったと云う事。この頃総会の時に、逢瀬ヶ峰ですか逢う瀬を楽しみにという逢う瀬です、そういう伝説のある山だそうです。そこは後から聞かせて頂いたら、、金山があるとこだそうですね。だから私共が逢う瀬の楽しみだけではなくてここに結合して、そして合楽と言う事になって、結合するそこから生みなされてくるものが、私は金山の様なものだと思う。
今までのはそういうおかげではなかったですね。しかも神様がですね、こちらを向いて下さいといや、もう向きたいでいっぱいでおられる時なのですから、どうぞ神様と云うて願わなければ神様に対して御無礼になるのではないかと云うことなんです。世のお役に立たせて下さいと言いよったら、金光様の先生にならにゃんかん知れんけんでちゅうごたる風な人があったと言う事を、さっきから話よったですね秋永先生が。
けれどもいいじゃないですか、ほんとに私の周囲にたくさんの難儀な人が助かっていく程しに、神様が目をかけて下さるなら、こんなに有り難いことはないじゃないですか。だから、ほんなら、そう言うことだけではない。いわゆる、お金でお役に立ちたい、健康でお役に立ちたい、様々な事柄を通して、世のお役に立ちたいという一念が、願いの根本にならなければならない。
それが御道の信心の願いなのだと言う事を分からせて頂ける所まで、合楽は進んだと言う事になります。だから是からの願いと言う事を、又恐らくは一生かかってこの願いを成就の事の為に、いわゆる実感を持って世のお役に立ちたいという心を頂けることのために、やはりこの神心を強うしていかなければならないことが分かります。世の中に親切な人というのは幾らもあります。実意丁寧という人も沢山あります。
けれどもね、教祖の神様がね、世のお役に立ちたいと、私共が一心に祈っておるのと同じように、教祖様もただもう何も要らない。この方は人が助かることさえ出来れば結構であると仰る。これが御道の信心の根本だと言われております。問題じゃない。問題は、人が助かることさえ出来れば良いのである。ところが、教会を見てみますと、果たして世のお役に立ち、人が助かる事のお役に立っておるだろうか。
教会の人達が、助けられることの為に教会があるような教会だって、沢山ありゃせんだろうかと言う事になるでしょうが。そすと神様の思いと裏腹な事なんです。そこでですほんなら教祖様がね、人が助かる事さえ出来れば良いと仰るまでのその前提なんです。いうなら教祖の神様が天地の親神様から、神頼みをお受けになる前の信心なのです。当時の本当にいうなら、まぁ水飲み百姓の家にご養子にお出でられた。
わずかばかりの田地田畑を守っての、あの時代にですね、あの時代にとても百姓がね、一反の田を増やしていくと言った様な事は出来ない様な仕組みになっておる時代なんです。百姓というものは殺さず生かさずと言う様な政策がとられておった時代なんです。それにですね教祖の神様が養子にお出でられて、壮年の頃にはもう村で一か二かという程しの、作っておられることでは村一、持っておられる事では村で二番と言う所まで、儲け出しておられた。それこそ人の二倍も三倍も働かれたんだとという事なんです。
しかも実意丁寧に、もうあの人ならばと他所者として、例えば村寄りなんかある時は、一番裾の方にしか座れない様な時代にですね、もうやはり文さんと云うて上の方へ座らせて頂けれる座を貰われる程しの、やっぱ成功しておられた。だからそれだけではね、教祖の神様の値打ちはなかったんだ。世の中には沢山そういう人がある、実意な人がある丁寧な人がある。それを私は、昨日から佐田恭造さんの例を取った。
商売熱心である、従業員からもお得意さんからも、それこそ真っ黒になって働く。先月あるここの久留米の信者が参ってきてから、丁度私も同じ同業者の所に勤めておる、食料品屋に。そこの親父がたまたまなんの事からか、佐田さんの話がでてから、はぁもう佐田さんにはかなわんち、なにがと思うたら働くことと勉強すること、とてもあの人には誰でん叶わんちいうて、業者がみんな云うとるというのを聞いて。
自分の事を褒められておるように嬉しかったと云うてお届けしておる程しの、いうなら人格というかね、そういう働きなんです。けれどもあんたがそれば、いくら働きだしたっちゃ働き出すだけばい、それじゃ駄目だ。その働いておる、実意を尽くしておる事が、それが信心でなされておるんだと。こうすることが信心だからしておるんだということにならないとね、それがおかげにはならない。
教祖の神様が信心好きでおありになったと、それが信心で段々なされてきてです、いうならば、過去二十年の信心じゃないけれども、教祖の神様が立教神伝をお受けになる、その前の信心としてはです、どういう風に神仏を拝んでおられたかというと、それこそ七墓築く様なことが起こってきても、それを神様のせいとも、仏様のせいともなさらずに、これは氏子の事で、どこにお粗末が御無礼があるかわからない。
お粗末御無礼のところを平に平にお許し下さいという姿勢を持って神様に進まれた。そして、知って向かえば命を取り、知らずに向かうても、目を取ると言われる程しの新たかな神様ならばです、命を与えて下さることも出来るであろうと思われた。そしてどうぞお向きを変えて下され、御向きを変えて下されと言うて願われた。私共の過去の信心が御向きを変えて下されだったと思うた。
ところが、金光大神の信心があまりに素晴らしいもんですから、神様の方からくりっと向きを変えられて、この幣切り境に肥灰さしとめるというような神頼みが始まった。ですからね、そこのところをね、私共は分からして頂かなければならない。二人の子供さんが疱瘡にかかられた。一人は敢えなく亡くなられた。一人はおかげで助かられた。そして神様に神主さんを呼んで、御礼のお祭りをなさっておられる内容がです。
一人の息子は私の信心の不行き届きが、このような事にしてしまいましたが、あなたのおかげで、一人が助かりましたと御礼を云うて、有り難いと思うておりますというのじゃなかった。それをお祭りに現して、それ相当の事をなさって御礼をなさっておられるという程しの信心が育っていた。教祖の上に。そういう信心をふんまえての、人が助かることさえ出来ればという、取りついでくれば助かるという事を確証を持っておられる力がですね、そこに人が助かることさえ出来ればということになったんです。
そこで私共がです、世のお役に立つことさえ出来ればということにならければならない事が分かるでしょうが。世のお役に立たせて頂きたいという願い、世のお役に立つことさえ出来ればという信心を、これからはしていき、過去の信心は、その一つの基礎になるものであるという事を、これからもこの事を説いていきますことでしょう。ですからあらゆる角度から一つ分からせて頂いて、御霊様ですらがです。
ラムネのこの紙を破ることが忍びなかった。ところがこれは紙を破るのではなかった事が分かって頂かれたら、胸がベスッというようなおかげを頂けるような段取りに合楽がなってきた。合楽に縁を頂いておる御霊もこれから助かっていくことが出来るぞという喜びが、夕べの私の前に並んで御礼を言われた御霊様の姿だと、私は思うのです。どうぞ皆さん、私が今日、私の体の不思議なこと、これは私の身体じゃない。
皆さんの五体だって同じ事、それは、この宇宙全体にまだまだ不思議で不思議でたまらないことが沢山あるように、とても人間の浅はかな知恵で力で、ああのこうのと理屈どん言うとる段じゃないです。ですから、そういう不思議な力を開拓していくというのが信心なんです。それを、まず私は、私の身体の中から、それを感じ取らせて頂いておる。親に奉仕をする、ただそれだけが私の心に交うてくる。
皆さんが御霊様に奉仕をされる、親に奉仕をされる、親孝行のなんかんのと言った様なことが、この頃言われますけれども、ということはそういう大変な、人間の幸福には絶対のつながりを持っておる元が親子の中にはある。先祖と私共の上にはあるということなんです。そこを一つ本気で分からせて頂いて、なんの稽古よりも、まず本気で信心の稽古をさせていただいて、それこそ掘ればなんぼでも出てくる。
いわば金山に、いわば入っておるような私共。まずそれを掘り起こさせてもらう、精錬させてもらうという働きは、勿論なされなければならないのは勿論の事であります。どうぞ。今日は、朝のお供えを持ってみえて野口つぁんと富永さんが、先生、今度おかげ頂いてから、御本部参拝させていただきますとですけれど、私は乗り物に弱いと言われる、だからそん事を御願いしますと言うけん。
富永さん、あそこに七十人と書いてあるとを、私は誰にいっちょ、あんたも参らんの、あんたも参らんのと、私が言うたっじゃなかよ。もう半年前から七十人と私が言うたつが、ちゃんと七十になってしもうたっじゃろうが、と私がいうた。だからそういう不思議な働きの中に、富永さんが一人入っておられるのに、富永さんだけが一人知らんち、誰が言いなさるはずがないじゃないの。と言うて私が申しました。
御本部参拝も、いよいよ近間りました。三日から発ちます、ですから、早めにお初穂をお出しになりますように、それから旅費もおくりあわせを頂いて、どうぞ、もし旅費のおくりあわせが頂けない人は、事務所へ言うて下さい。信徒会の方からでも立て替えさせて頂いて、とにかく何日まで払わなならんのですか、今月末まで、そんなら生誕祭のころまでよろしく御願いします。
どうぞ。